2016年10月14日金曜日

重大発表

当ブログ更新を心待ちにされている皆様へ、
私より重大な発表があります!


この度私は今月末をもちましてゆうメイトを卒業することとなりました!

ご愛読ありがとうございました!と言いたいのですが、
記事を書くたびに疲労で寝落ちし、膨大な量の下書きがたまっているのと、仲のよい同僚が情報をくれるということなので、

今後も継続してブログを更新していきますので、ご安心下さい!

16日以降は年休の消化でゆっくりできるので、溜めてた下書きといろいろ回想を含めた内容を中心にした記事になります。

卒業する理由は、1年くらい前に親の具合が思わしくなくなり、それ以来仕事をしながら家族と交替で付きっきりで介護してきましたが、ブログも仕事も限界となりました。

・・・というわけで今月末をもちまして11年間続けてきたゆうメイトを卒業となります。いろいろありがとうございました。短い挨拶ですがこの場を借りまして御礼申し上げます。

でも暇があれば正月にまた来たいなと思っています。欲をいえば、形はどうであれ復帰も視野に入れてます。出戻ってきた人もたくさんいますし、解雇でない限りどんな人でも大丈夫でしょう!

みんなと会えるかも!?期待して待っててね!

2015年9月25日金曜日

更新再開しました!

久々にブログ更新再開です!お待たせしました!
繁忙期を過ぎ、心身共に落ち着いたこともありますが。


また以前のようにじっくりではありますが、のんびりと更新していきたいと思います。


前置きはさておき、近況報告を。
更新をストップしていた頃と今現在との周囲の環境の変化は、劇的ではないが少しだけあった。
まず、部長が替わり、長年勤めていた手区分のおばちゃんが定年で居なくなったことくらい。
カメ野郎も相変わらず健在で、依然として闘いは続いている。


業務のほうはというと、以前と比べ忙しくなりました・・・。
手慣れたおばちゃんが抜けた穴は想像以上に大きかったです。
人手不足は深刻化しており、さすがに見かねたのか部長どころか局長までもが参戦してきて阿鼻叫喚状態に。以前まで現場を仕切っていた課長は完全に空気に・・・w
肝心のゆうメイトの補充はというと上手くいっておらず、募集をかけてもなかなか集まらず、
これまで3人入ってきたがいずれも1ヶ月程度で辞めてしまった。
こんな環境では定着するのも難しいでしょうねぇ・・・。
更に9月末にはおっちゃんも定年で居なくなるので、状況はますますカオス化しそうだ。


こんな状況がすっかり忘れ去っていたブログの更新を思い立った理由です。

そんなわけで今後とも宜しくお願いします。

次回もお楽しみに。

2014年1月20日月曜日

【退職】郵便局を支配していたゆうメイト - フリーザ様【殿堂入り】

今年も年賀の短期でフリーザ様というババアが復活していた。
相変わらず現役の頃と変わらず命令口調で仕切りまくっており、これまで賑やかだった雰囲気がやって来た途端一瞬にして空気が凍りつき静まり返っていた。

どこがどうフリーザなのか?主な理由とこのババアの特徴を挙げてみる。
  • 気にいらない者は消してしまうという氷の精神を持つ。冷凍庫(フリーザー)が名前の由来。
  • フリーザの第一形態とそっくりな容姿だから。
  • 惑星を支配するかの如く、長年に渡り朝から晩まで毎日居座り、郵便局を牛耳っていた。
  • 皆から悪党と言われるほど不正行為をちょくちょく行っていた疑惑もある。
  • 65歳定年で雇い止めになってもサイボーグのように復活する。
気にいらない者は消す…つまり、何かしら言いがかりを付けて退職へと追い込む。どの職場でもあるいじめの常套手段である。フリーザ様というババアは冷酷・冷徹・冷血の氷の精神がインプットされている(少しキャラが違うか)。標的になった本人の為だけではなくその他のみんなの為に助けてあげたくても権力が強く、中途半端な注意をしてヤツの怒りを買えば逆にこちらがとんでもないことになってしまう。あのババアだけは放っておくしかないほど狼藉を働いておりました。

職員(現在の正社員)でもないのに我々ゆうメイトを部下のようにこき使い、名前を呼び捨てにし、指からビームを発射するかのように指示をする。特に立場の弱い新入りで若い子(中には女の子も居た)に対しては虫ケラのように扱い、じわじわとなぶるようにしていました。Aロッド君(ギニュー隊長)を筆頭に、グルドみたいな背の低いハゲた人やジースみたいな若者は悲惨な扱われ方をされ、我慢できずに辞めていった。Aロッド君は長続きしたのでその点では忍耐力があったといえよう。

フリーザの第一形態と外見がよく似ていて、普段着のこげ茶色のスモックが戦闘服を連想させる。1年ごとに年賀のバイトに来るたびに縮んだように見えて、ますますフリーザにそっくりになってきた。

郵政民営化前はまるで惑星、全宇宙を支配するかの如く、就寝時以外は朝から晩まで一年中365日休むことなく郵便局に居座り続け、約40年も居る大ベテランで権力(戦闘力)が高く、当時の課長(現在の呼称は部長)や職員達が注意しようにも強くは言えず、言われてもまったく聞かずにやりたい放題無双しておりました。自分に逆らう者がいればありもしない理由を付け退職へと追い込み、仕事がなく頼みもしないのに勝手に超勤し、本来週休や非番なのに突発的に誰かが休めば自ら勝手にそのポジションに入り、1日中虎視眈々とチャンスを窺っていました。郵政民営化前は現在では考えられないほど天国だったのです。

皆から生まれついての悪党と言われるほどお金に対する執着心が強く、不正に勤務時間を増やすだけにとどまらず、ババアが区分機を掃除する際に脱出した小銭や切手を自らの懐に入れている噂もあった。ポケットに入れたのを目撃した証人は数人いるものの、毎回きちんと脱出物として正当に保管、処理された可能性もあり、目撃、報告しただけで着服したという根拠には結びつかず、物的証拠も見付からず、時効になった。
※これはあくまで噂であって、事実を証明するものではありません。※郵便物だけでなく中身や切手を盗むのも犯罪です。また、現金は金額の多少に関わらず必ず現金書留を利用しましょう。

しかし、フリーザ様の独裁支配政権もやがて終焉を迎える。郵政民営化後は民間企業のように経営合理化が進み情勢が厳しくなり、自分の思い通りにしようと色々画策するが上手くいかず、ついに65歳定年で雇い止めにすることが決定した。永遠に郵便局で働きたい(不老不死)という願いは叶わず、雇い止め決定後は今まで好き勝手し放題した反動でピークを過ぎやる生気がどんどん失われ、対立していた者達はこれ以上争ってもムダといわんばかりにもう自分の気は済んだかのように相手にせず、築き上げてきたプライドは既にズタズタでショックを受けたままひっそりと佇んでいた。そして2011年9月30日を以て退職となったが、時の流れとはいえ約40年間支配し続けた者の晩年らしくない惨めな最後だった。

まだ未練が残ってたのか、最後の悪あがきなのか、雇い止めになった後も2週間ほど郵便局に来ていたが、バカヤローッ!と一喝されたようで、ついに姿を見せなくなった。まだ辛うじて1年おきに年賀の短期で復活できるが、まるで全身にメカを組み込みサイボーグ化したようなその姿は見ていて痛々しそうだった。

2014年1月13日月曜日

年末年始の戦いを終えて~年賀バイト回顧録

ようやく年末年始の繁忙期も終わり、一段落つきました。(とはいえ、まだ少し年賀が着いてますが)期間は2週間でしたが、1か月くらいに非常に長く感じ、年が明けたという気分にもなりません。そのおかげでブログの更新が滞ってしまいましたが…。

年賀状の区分に携わってみてまず最初に思ったことは、今年の短期年賀のバイトの人数がすごく減ったこと。採用数を減らしたかわりに長期が超勤することで対応。中にはほぼ休みなしで前2後2、上限の合計4時間の人もいました。そりゃ不慣れな短期より、熟練した長期がやった方が効率がよく、人件費の削減につながるでしょうけど。え、私ですか?お役御免ということで超勤を免除されてほとんど定時で帰りましたが何か?w

ちなみに皆様が期待していた女の子はというと、私の方が断然!…と思わせるほど地味な子ばかりでした…。

内務短期バイトの仕分け作業内容はというと、主に区分機から排除された年賀状(差立、配達)の手区分や郵便番号や住所番号を入力するVC打鍵、収集されてきた郵便物を種類ごとに分別する取り揃え作業です。区分機の供給や抜き取りは間違えると大変なのでさせていません。

65歳定年で雇い止めになった人達も短期で来ていて、フリーザ様と呼ばれるババア(後で詳しく書きます)も一時的に復活し、約1ヵ月間現役時と変わらず仕切りまくっててはっきりいって見た瞬間に鬱になりそうでした。

年賀の1パスと2パスは12月26日から開始。通常郵便物の区分機の供給も並行して行うので、常時回しっぱなしでとても余裕がなくてきつかったです。しかも、ゆうパックのバイトは3人来るはずだったのが1人しかおらず、残りは勤務日に来ずにばっくれてしまい、ゆうパックに人手を取られる羽目になり、計画通りに事が進まずパンク気味に。

大晦日に近付くにつれ進行状況が遅れだしてきて、郵便部長や総務部長、さらに局長まで現場に視察に訪れて抜き取りを手伝っていました。息が詰まりそうな雰囲気になり仕事量も疲労もピークになって、帰宅するなりバタンキューでした。(超勤してないってのはナシでw)

元旦前後は通常郵便物が極端に少なくなるので、はがきを除いてすべて手区分。ゆうパックもほとんどきておらず、正月三が日は暇でした。皆ひとときの休息を楽しみました。ここで処理の遅れを一気に取り戻し、何とか元旦配達予定の年賀状も無事に配達できたようです。

しかし、喜んでいたのも束の間、再び悪夢が。今度は年賀の還付がうざいほど着くようになり、通常年賀状と郵便物を一緒に区分機に供給するので、解束と還付郵便物を分別するのに時間が掛かり、打鍵の数もハンパなかった。それ以上に手区分も大変で、表面に差出人の住所が書いてないものは一々裏返して確認せねばならず非常に手間がかかります。折角表面に差出人の住所を記入するところがあるんだから、書いとけやゴルァ!と毎回思ってしまう。

1日経つごとに年賀の数も減っていき、短期のバイトはやがて何もすることもなくなり、まるで何事もなく1月6日を以て期間満了で無事に年賀は終了しました。

仕事柄正月という季節感がまったく湧きません。平常時の一環として物事を捉えてしまい、ただ時間だけが過ぎ去っていきます。こちらに残るのは超勤、祝日の若干の手当と目の前が真っ白になるほどの疲労感だけです。「あけましておめでとうございます」と言っていた人はほぼ皆無でしたw